トランプ氏が揺さぶるTPPの真実 


1) 「交渉巧者な実業家」のトランプ氏 TPP再交渉論の真意
2016.05.31

米大統領選の候補者指名争いで、TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)に対する候補者の立場が焦点となっている。日本では「全候補が反対一色」と報じられるなか、TPPを推進してきた米国の異変に「日本はハシゴを外された」との印象を持つ読者も多いだろう。専門家の間でも「TPPが頓挫する」「批准は大幅に遅れると」の見解が出ている。

しかし、各候補者の発言を見ていくと、スタンスは大きく異なる。

民主党での候補者指名が有力視されるヒラリー・クリントン前国務長官は、TPPについて「雇用創出や賃金引き上げにつながると期待していたが、いまの協定は私の基準を満たしていない」という。逆にいえば「条件付き賛成派」である。彼女の主張を実現するには再交渉するしかないが、具体案は示していない。

クリントン氏を猛追するバーニー・サンダース上院議員は、TPP以前に「自由貿易は支持しない」と公言し、「TPPは消費者に損害を与え、米国人から仕事を奪う」と訴え、TPPからの撤退を公約にする。筋金入りの保護貿易主義者だ。

共和党の候補者指名を確実にした不動産王、ドナルド・トランプ氏は2人の議論より上手である。

まずは、人気上昇中のサンダース氏について「私が唯一、彼と意見が合うのはTPPだ」と同調し、続けざまに違いについて、「私はTPPを“再交渉”できる。そして、私は協定を改善できる。しかし、サンダース氏は何もできない。なぜなら、彼の得意分野ではないからだ。私こそが、TPPを“ドル箱”に変えられる」と強調する。

この意味で、トランプ氏は、クリントン氏と同じ再交渉論者だが、さらに仕掛けをしている。

TPPについて発言するとき、トランプ氏は「私は自由貿易が好きだ」「100%、自由貿易論者だ」というフレーズを頻繁に口にして、「われわれの指導者はひどい交渉をして、わが国を干上がらせようとしている」「自由貿易交渉に必要なのは、交渉にたけたスマートな人だ。いま国際交渉している人にスマートな人がいない」と問題にしている。

つまり、TPPの枠組みづくりをリードしたオバマ大統領や、クリントン氏を批判して、以下のように畳み掛けるのだ。

「このままTPPが承認されれば、米国の職が失われる。これまで見たこともないほどの職が失われるだろう。私がしたいのは、この国に職を取り戻すことだ」

トランプ氏の発言には具体性はないとはいえ、「交渉巧者な実業家」の経歴を背景にして、有権者に「ビジネス経験のないクリントン氏やサンダース氏と違い、何かやってくれそう」と期待をさせる効果を狙っている。

では、トランプ氏かクリントン氏が次期大統領になった場合、TPPは再交渉へ事は運ぶのか。仮にサンダース氏が選ばれた場合、TPPから撤退できるのか。


2)米大統領選では「お決まり」の通商協定“反対” 当選すると手のひら返しで“推進”
2016.06.01

米大統領選の候補者指名争いで、TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)への立場は2つに分かれる。共和党の候補者指名を確実にした不動産王、ドナルド・トランプ氏と、民主党の候補者指名が有力視されるヒラリー・クリントン前国務長官の「再交渉論」と、クリントン氏を猛追するバーニー・サンダース上院議員の「撤退論」である。

彼らの主張に現実味はあるのか。

約6年に及ぶ交渉の末、今年2月にようやく署名式を終えたTPP協定を根本から覆す暴論に聞こえる。だが、過去の米大統領選における“舌戦”を振り返れば、通商協定の「見直し論」は珍しくはない。

オバマ米大統領とクリントン氏が激突した、2008年の民主党候補者指名争いでは、NAFTA(北米自由貿易協定)の見直しが焦点だった。NAFTAは当時、米国の雇用を奪った元凶とされ、どちらが協定を再交渉し、改善できるかを競い合っていた。

オバマ氏は「私は一貫して反対だが、クリントン氏の反対は『ポジション・トーク』(=自分の立場を有利にする発言)に過ぎない。ファースト・レディー時代、NAFTAを推進した」と批判した。

これに対し、クリントン氏は「オバマ氏よ、恥を知れ!」と指摘を否定し、「貿易相手国を無理やりでも、再交渉のテーブルにつかせる」と主張するなど、過激な論戦を続けた。

その後、オバマ氏は大統領になり、クリントン氏は国務長官になったが、再交渉論は完全に鳴りを潜めた。それどころか、共和党政権時代の構想を引き継ぎ、2人がタッグを組んで、アジア太平洋各国を説得・実現したのがTPPである。

1992年の米大統領選では、トランプ氏と似て、実業家のロス・ペロー氏が通商政策をバッシングして人気を博した。再選を目指した共和党現職のジョージ・W・ブッシュ大統領(父)が交渉していたNAFTAを「米国人の職を南の国境(=メキシコ)に売り渡す」と攻撃し、撤退論を展開した。

最終的に共和党票が割れ、漁夫の利を得たのは民主党候補のビル・クリントン氏である。彼は大統領当選後、NAFTAを成立させるが、選挙中は再交渉論だった。

要するに、候補者らは現政権が推進する通商協定に反対し、再交渉の立場を表明するのが、米大統領選の「お決まり」なのだ。大統領に当選すれば、前言に関係なく協定を推進して、自分の功績にするのが「政治家の錬金術」なのである。このようなパターンを理解すれば、日本政府は何ら動じることはない。

しかし、なぜ通商協定が米大統領選にこれほど影響を与えるのか。


3)トランプ氏の“責任転嫁”がウケる理由 米大統領選の関心事は「雇用」「税金」だけ
2016.06.02

米大統領選において、TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)などの通商協定に対する反対・再交渉論は「お決まり事」である。当選した大統領は、選挙期間中の主張と関係なく、従来の自由貿易路線を引き継ぐ伝統について、前回述べた。

そうであれば、なぜ通商政策は大統領選の焦点になるのか。

米大統領選のテーマは、単純化すれば「雇用」と「税金」の2つしかない。仕事は増えるか減るか。増税か減税か。つまり、「収入」と「支出」という生活に直結する二大関心テーマだ。

「外交・軍事」も重要テーマに思えるが、大多数の米国人にとっては他人事だ。海外派兵や駐留問題も結局のところ、税金の使途の問題だ。

共和党の候補者指名を確実にした不動産王、ドナルド・トランプ氏が提示する米軍駐留経費の日本全額負担論も、その文脈で理解すればいい。「健康保険」の仕組みも焦点だが、国民の心配事は医療費高騰で、税金と同じ支出の話である。

「雇用」政策は、国内の雇用対策と海外との通商政策に分けられる。

そもそも、新たな仕事を作り出すのは民間で、政府の雇用対策は一過性のものだ。かつては、オバマ政権の「グリーンエネルギー戦略」で雇用創出という政策もあった。だが、民間主導のシェールガス革命や原油増産で燃料価格は下がり、政治家が打ち出せる魅力的な雇用政策はそうない。

そこで、焦点が当たるのが通商問題である。

政治家にとっては、雇用創出より、雇用問題の責任転嫁をする方が簡単だ。「誰が米国人の仕事を奪っているのか?」という問題設定をして、もっともらしい答えを出せばいいからだ。

模範解答は、通商協定の不公平さをやり玉に挙げて、輸入が多い貿易相手国を非難することだ。その協定を変えれば輸入が減り、国内に工場が戻ってきて雇用が増える、という答弁が完成する。

例えば、トランプ氏の答弁は次のとおりだ。

「通商において米国は、中国や日本、メキシコなどから搾取されている」「特に中国は通商協定の最大の乱用者だ。TPPは中国のために設計されている。今後、裏口から入ってくる中国にTPPを貢ぐことになる。中国はTPPの弱点を突き、どの国よりも悪用してくるはずだ」

漠然とした指摘だが、中国などに脅威を感じている聴衆には真実のように響く。そして、TPPは「ひどい取引だ」「狂気の沙汰だ」といった強い言葉で断定する。

トランプ氏の「メキシコとの国境に壁をつくる」という突出した主張も、「雇用」対策の一部だ。雇用を奪う点で、外国の輸入品が原因の通商問題と不法移民が原因の国境問題を同列に論じることで、「他の候補者より根本的な解決策を持った指導者だ」と印象づけているのだ。


4)トランプ氏の通商政策は無茶 もし通れば貧困層打撃、企業倒産、失業者増加
2016.06.04

米大統領選で、共和党の候補者指名を確実にした不動産王、ドナルド・トランプ氏が提示する通商政策を分析する。

トランプ氏は「大統領になれば、中国から輸入される全品目に関税45%を課す」「メキシコからの主要製品は関税35%にする」と公約している。そして、「われわれは工場労働者の仕事を取り戻し、米国を改めて偉大な国にするのだ」と演説を締めくくる。

この関税引き上げ政策は「自由貿易論者」という自称と矛盾するが、意に介さない。有権者に「関税を上げる→輸入品が減る→国内に工場が戻る→雇用が増える」とシンプルに理解されることを狙っているからだ。

しかし、そんな政策は現実的には不可能だ。理由は3つある。

(1)WTO(世界貿易機関)加盟国間の基本原則-自由(関税引き上げ・数量制限の禁止)と無差別(最恵国待遇、内国民待遇)に反する。特定国を差別して、勝手に関税を引き上げるにはWTOから脱退するしかない。

(2)米国憲法上も、ほぼ不可能。大統領には関税を定める権限はなく、議会の専権事項(米国憲法第1条第8節)。米議会の多数派は、一貫して自由貿易路線である。

(3)各種法令上も不可能。他国に報復的な関税を課すには、品目ごとに厳格な要件や手続きを経なければならない。中国からの全輸入品目に対し、一律に関税を上げる要件は存在しない。

それでも、トランプ氏が万が一、(1)から(3)をクリアしたらどうなるか。実は、中国から雇用を奪還するどころか、米国民と産業界が困窮する。

まず、関税45%引き上げ策は、全国民に対して45%増税するに等しい。特に、中国製の安い商品を買って何とか生活している貧困層に、どれほどの負担となるか容易に想像できる。

米国の産業競争力も一気に下がる。中国からの輸入品の半数は、米国内の工場で使う部品などの中間品である。つまり、米国企業の仕入れが45%も上がれば、多くが倒産するほどの影響を受ける。

最後に、WTO脱退によって米国は国際社会の一員ではなくなる。現在、WTOに入っていない代表的な国といえば、北朝鮮、ソマリア、南スーダンぐらいだ。

要するに、トランプ氏の通商政策は雇用を生むどころか貧困層を痛めつけ、企業を倒産させることで失業者を大量発生させることになる。

まあ、トランプ氏としては、国際法や国内法、経済学に基づく分析などは関係ない。選挙期間中だけ、有権者から単純に理解され、支持が得られればいいのだ。選挙戦のネタとして、TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)や貿易、関税という単語を使っているのだ。中国やメキシコ、日本から反発を受けても構わない。外国人には投票権がないからだ。


5)トランプ氏“論破法”を伝授 TPP・農業分野での矛盾点を突け
2016.06.05

最終回は、私の専門である農業分野で、米大統領選・共和党の候補者指名を確実にした不動産王、ドナルド・トランプ氏を論破する方法を伝授したい。

彼は「Deal(ディール=取引)の天才」と呼ばれるビジネスマンである。国家間でも「対等な取引関係」を重視する。日本や中国、メキシコを名指して非難するのは「関係がアンフェア」だとの共通項がある。

彼の政策はすべて、それを正常化するためにある。企業に補助金を出す中国に対しては関税上乗せで報復、米国から駐留費の補助を受けている日本に対しては全額負担を要求する、などだ。彼の論拠は「補助金がアンフェアさを生んでいる」点で明確である。

これを逆利用すれば、日米の農業問題や、世界の農産物貿易の地平を築ける。

まず、日本側が主張すべきはこうだ。

「米国はアンフェアだ。世界最大の“農業補助金”を農家に渡している。米農家の輸出を有利にし、世界の農産物貿易をゆがめている」

トランプ氏は次のように返答するだろう。

「日本農業こそ保護主義だ。多大な関税を課し、補助金漬けだ」

日本政府はこう反論すればいい。

「わが国はTPPで関税低減を約束し、貴国とも合意済みだ」「日本は独立自尊の国であり、米国人の税金(=農業補助金)の入った安い農産物は必要ない。減税して米国民に戻すべきだ。日本は農業補助金を撤廃していく。トランプ氏の主張通り、フェアな競争をしていこう」

トランプ氏は選挙対策上、米国の農家には甘い。外国の補助金は問題にするが、自国の補助金には言及しない。その矛盾点を突くのだ。

これは明らかに、トランプ氏が重視する「フェアの精神」に反するから、「参った!」となる。

そこで日本は畳み掛ける。主要農業先進国に「国内補助金をなくそう」と提案すればいい。TPP参加国で、補助金を全廃したニュージーランドや、ほぼゼロのオーストラリア、潤沢に補助金を使えない日米両国、新興国のTPP諸国が賛同するはずだ。

もちろん、補助金を失いたくない米国農家は反発する。日本の首相はこう発言すればいい。

「米国の農業補助金は自助自立の建国精神に反している。独立のフロンティア・スピリットを失っているのではないか」

あとは、米国の農家や消費者、政治家の間で「農業補助金は必要か」という議論が繰り広げられ、多数決で撤廃の方向に進む。これはまさに、トランプ氏が十八番とする交渉手法だ。極論をぶつけて議論をリードする。彼の演説やディベートを分析してきたが、美点は「交渉巧者をリスペクトする」ことだ。

日本にとって重要なのは、トランプの交渉術に「大人のゲーム」として対抗できる、政治リーダーがいるかどうかだ。

夕刊フジ  全5回連載