なぜTPPは”たるんだ”協定になってしまったのか 「TPPはアメリカの言いなり」の噓


2015.11.10(2015.10.26執筆)

【普遍的価値を共有する国々のプラットフォーム】

TPP(環太平洋パートナーシップ協定)はリビング・アグリーメント(生きた協定)である。妥結した内容が未来永劫、フィックスされるように誤解をしている人が多いが、真相はまったく異なる。

21世紀型の世界基準となるべき共通ビジネス・ルール構築実現がTPPの目的だ。“生きた”の名のとおり、関税・サービス・投資などの自由化合意について、全12加盟国が実施フェーズに移行させていきながら、今回妥結できなかった積み残し事項についても、交渉がいずれ再開される。そのプロセスは継続し、今後、さらに高い水準の自由化をめざしていく。その道は不可逆的である。

その前提条件の下、自由や法の支配、民主主義、基本的人権といった普遍的価値を共有する国々が相互関係を深めていく環太平洋地域のプラットフォームがTPPなのだ。

がゆえに、参加資格のあるAPEC(アジア太平洋経済協力)加盟国でありながら、その価値が共有できていない、もしくはその模索・途上段階にある国はこの交渉の場に不在であった。中国やロシア、韓国、インドネシア、パプアニューギニアなどの国々だ。同時に、それらの国の一部はTPP妥結を受け、世界GDPの40%を占める経済圏に取り残されまいとすでに参加意向をほのめかしたり、懸念を表明しはじめている。

ここで何よりも重要なのは、オープンかつ透明なルールをTPP現加盟国が作り続け、遵守していくことだ。中国やロシアに代表されるように、その時々の政治情勢で国家が貿易に介入し、世界経済を混乱させてきた新たな加盟候補国に対して、協定の規律を明示するためである。

そうした将来像を先取りしながら、現実の日本農業の方向性、食料政策のあり方を再定義し、未来像を現場の農業者、そして一般国民と共有するのが本稿の役割である。

【衛生植物検疫(SPS)措置とは何か】

ところが、日本の農政に目を向ければ、時代錯誤的なTPP認識がいまも続いている。妥結後、農政はTPP対策一色である。すなわち、交渉参加前からこれまで5年間繰り返された「TPPで日本農業壊滅」宣伝戦略の延長戦上で、「農業予算の増額と分捕り合戦」が再燃しているのだ。

同時に、TPP妥結で「危険な食品が大量に入ってくる」「日本人の安全な食が侵される」といった従来からの報道や国民認識も根強く残っている。

双方の議論とも的外れだ。

どこが的外れなのか。まずは第2の論点「食の安全面」から見ていく。

この分野を扱うのは、TPP協定書第7章の「衛生植物検疫(SPS)措置」である。SPSとは、農畜産物の輸出入に伴う有害病害虫の侵入を防ぐために加盟国に認められているものである。それは同時に、人の健康や生命の保護を確保する食品安全についても、各国が必要な措置を取る権利を認める。結論からいえば、TPPによって日本の食品の安全がある日突然、脅かされるようなことはない。公開されているTPP妥結内容を見るかぎり、輸入時の検査基準が緩くなるといった国内の制度変更が必要となる新たなルールは設けられていないからだ。

そもそもSPS措置は、なにもTPPで初めてできた基準ではない。20年も前の1995年、WTO(世界貿易機関)の誕生と同時にWTO・SPS協定が締結されて、その国際ルールに則っている。TPPに限らず、これまで世界中で締結されている自由貿易協定も同様であり、専門家のあいだでは「日本の食の安全が侵される」といった主張、報道は当初からデマだと片付けられていた。

これだけでは納得できない向きもあろう。そこで、SPSとは何か、そのルールについて理解を深めていこう。特徴は2つある。「国際基準に整合すること」「科学的根拠に基づいたリスク評価を実施したうえで、適切な保護の水準を決定していること」である。

前者の国際基準を決めるのは、残留農薬や添加物などの食品安全については食品規格委員会(Codex)、口蹄疫やBSEなどの動物衛生は国際獣疫事務局(OIE)、病害虫の植物防疫は国際植物防疫条約(IPPC)事務局となっている。TPP交渉の場は、そうした専門機関に代わって国際的な新ルールを設計する場ではそもそもない。それ以前に、日米をはじめとするTPP加盟国では現状の国内法もその国際基準に基づいたものになっている。

後者については、多国間交渉のTPPの価値が発揮された。第7章において、「各締約国のSPS措置に係る手続の透明性の向上に関する規定」が設けられたことによる。さらに「地域的な状況に対応した調整、措置の同等、科学及び危険性の分析、監査、輸入検査、証明、透明性、協議等について規定」も細かく定められている。

いくら国際基準に整合しろといっても、守らない国はある。この規定によって、実際にどんな措置をしているのか情報公開を加盟国に要請することができるようになったのだ。肝心なのは、求められた国はすべての情報を提供する義務が発生する点だ。

これは日本が食品を輸入する場合と輸出する場合の双方にメリットがある。輸入の場合、TPP以前でも日本の安全基準に沿って、相手国は輸出検疫や検査をする必要がある。ある品目で基準違反が発見されるケースが多い場合など、これまでも照会はできたが、すべての検査情報を公開する義務はなかった。新たな規定によって、相手国に対して安全ルールの遵守・徹底を促す契機になる。

それでも、相手国の対応に「懸念がある場合には、180日以内に解決することを目的として、要請の受領から37日以内に専門家が関与する協議(TPP協定独自の協力的な技術的協議)を求めることができる」ルールが設定された点も大きい。これまで貿易相手国のSPS措置に問題点があった場合、国際的な解決手段としてWTOの紛争解決機関(DSB)が用いられてきた。まず、パネルが設置され、双方の主張がヒアリングされる。科学的根拠に基づく報告書が提出されたのち、上級委員会が判定する流れだ。問題は、160カ国以上が加盟するWTOにおいて、会合を1つ開くにしても時間がかかる。会合を積み重ね、解決までに数年から5、6年かかることもざらにある。貿易の促進役であるべきWTOが反対にその障害になっている実態があった。こうした官僚的な対応を改め、先述のように要請から協議開始、解決までのタイムラインを明確にしたのだ。

【国際基準自体がアメリカに操られるという勘違い】

以上のルールは、日本からの農産物・食品輸出にあたり、相手国の障壁改善にも直結する。日本の農業者や食品事業者が国際基準に整合した相手国検査に合格する商品を輸出したとする。にもかかわらず、仮に相手国が自国の生産者を守ろうと恣意的に不合格とし、輸入をストップしたとしよう。言い換えれば、SPSはあくまで食の安全のためのもので、国内農業保護の隠れ蓑にSPSを使ってはならないというルールに違反した場合だ。

そういうときに、情報公開要求や技術的協議ルールがその是正に効力を発揮することは容易に理解できる。結果として、安全基準が厳格化されることはあっても緩和されることはない。

こうしたルールを知ったうえでも、TPPによって食の安全基準が下がるという主張もありえるだろう。デッドラインを設けることで、WTOに比べ拙速な議論にならないか。それによって、安全基準が下がらないか、また、アメリカの言いなりになるのでは、といった言い分だ。それをいうなら、科学的な調査を行ない、判断を下す専門家を誰も信頼できない、といっているに等しい。日本人の専門家であっても間違えることは当然ありえる。2カ国協議であれば政治的力関係に左右されることはありえるが、TPPという12カ国が関与することで偏らず、よりバランスと整合性のとれた結論が導きやすい点も注目すべきだ。

それ以前に、国際基準自体がアメリカに操られるのではないか、という言い分も成り立つかもしれない。百歩譲って仮にそういう基準があったとしよう。WTOならびにTPPのSPS規定では、日本は科学的なリスク評価に基づいていれば、国際基準より高い安全基準を設けることは妨げるものではない。

その証拠にBSE牛肉問題の際、日本はアメリカから過剰規制だと抗議されるなか、独自のリスク評価でその禁輸を続けた実績がある。日本に限らず、WTO加盟国161各国がその権利を有している。当然、新たな規制を輸入農産物を増やさないための口実として使ったり、相手国によって恣意的に異なるルールや不当な差別が生じるようなものは禁止されている。

SPS規定に加え、TPPによってさらに加盟国消費者のための食の安全を高める包括的な体制がつくられたことはほとんど知られていない。意図的にルール違反しているわけではなく、国際基準を満たす意思のある国々への対応だ。技術面や制度面が未整備のため完全に履行できない発展途上の国もある。たとえば、協定21章「協力及び能力開発」である。「協定の合意事項を履行するための国内体制が不十分な国に、(筆者注:先進国が)技術支援や人材育成を行うこと等について定める」条項だ。

こうした体制整備についてはそのほか、5章「税関当局及び貿易円滑化」、17章「国有企業及び指定独占企業」、25章の「規制の整合性」、26章「透明性及び腐敗行為の防止」、27章「運用及び制度に関する規定」、28章「紛争解決」、29章「例外」、30章「最終規定」などが相互補完する仕組みになっている。

かつてTPP反対論者の紋切り型の批判として、「TPPは農業分野だけではない。24分野もある。すべてで自由化されれば、国が亡びる」といった議論があった。これまで読めばわかるように、農産物や食の安全の1トピックを取ってみても、その整合的な実現をめざすために5年の時を積み上げて、相互に関連する30章から成り立つルールブック(協定)を作ってきたのである。日本の交渉参加当時、そのうちの24章が進行し、明らかにされていただけだが、国際通商協定の分析についてずぶの素人であった反対論者らは、それを勝手に24分野と誤読し、間違った解釈・情報を拡散していただけなのだ。

もちろん、ルールブックを作ったからといって、すべてがうまくいくわけではない。たとえば、通関で役人に賄賂(26章が扱う腐敗行為の一種)を払って危険な食品を輸出入するといった犯罪行為が一晩でなくなるわけではない。政府事業入札での贈賄など、日常茶飯事の国もある。TPP加盟国の一部政府は少なくとも、そうした行為の横行、対策に頭を悩ませているのは確かだ。であればTPPを活用してよりよい制度を導入したり、人材育成の支援を仰ぐなど地道な対策を講じればよい。

もっと開かれた豊かな国になりたい、と同時に公平な共通ルールを採用したいという国々が集い、切磋琢磨していくルール・メイキングと課題解決の場としてTPPがある。こう正確な認識に改められれば、反対論者に影響されてきた読者も腑に落ちるのではなかろうか。

【自由資本主義、民主主義国が内包するメカニズム】

それでも、遺伝子組み換え(GM)作物の貿易に懸念をもつ読者がいるかもしれない。GM作物について、TPPでは「承認に際しての透明性の向上(申請に必要な書類、危険性・安全性評価の概要の公表)、未承認の遺伝子組み換え作物の微量混入事案についての情報の共有(開発企業からの情報提供の促進等)、情報交換のための作業部会の設置等」を規定した。

わかりやすくいえば、各国の法令および政策の範囲内での対応を求めるものであり、日本については現状と何ら変わらない。途上国にとってはTPPを通じて、GM作物についての情報が得やすくなったり、他国の制度を参照しやすくなるなどメリットが大きい。アメリカ主導ですべてが決まるとの反対論者の主張はここでも誤っていた。促進派のアメリカに対し、慎重派の日・豪・ニュージーランドが交渉した結果である。その賛否は別として、テーマごとの是々非々について、ここでもTPPという多国間交渉のメリットが発揮されている。

ほかの反対理由を探せば、食料をある国に依存しすぎれば、ある日突然、輸出をストップされたらどうするのか、という議論もあった。これについてはまず今回のルールで、輸出をしづらくする「輸出税の禁止・撤廃」が決まった。これはWTOでは、そこまで規定のないTPP独自のものだ。

輸出制限については、WTOにないルールとして以下が加わった。「(1)実施30日前までに通報すること(2)輸出制限措置を導入する必要性について情報提供すること(3)締約国からの質問に対して14日以内に書面で回答すること(4)輸出制限措置は原則6カ月間とし、対象品目の純輸入国との協議なしに12カ月を超えて維持できないことを規定」する。反対派の杞憂とは反対に、これまでより規律が高まったことは間違いない。

わざわざこのルールがなくても、輸出国(実際は国というより各農業者、食品業者、商社などの民間事業者)は相手国に顧客がいるから生産・販売しているわけである。当該国政府が何らかの理由で輸出をストップして困るのは民間業者のほうである。第3国を迂回しても届けようとするのがビジネスだ。仮にそれがストップされれば、競争相手の他国の事業者が商機を見出し、こぞって日本へ輸出を始めることは交易の歴史が証明している。

アメリカがかつてソ連に対して食料の輸出禁止をした際、フランスに需要を奪われ、怒った農家がその大統領を再選選挙で落としたこともあった。新大統領は解禁を公約に掲げ、農家、地方票をがっちり掴み当選したことはいうまでもない。自由資本主義、民主主義国には、国民の反対を押し切って長期に禁輸などできないメカニズムが内包されているのだ。だからこそ、TPPはそうした価値観を共有する国が参加しているのである。

そうはいっても「もしものとき」はどうするのか。そのためにあるのが石油備蓄であり、食料備蓄である。税金を使って、どれだけの期間分の備蓄を保有するのかはまた、政策議論と選挙を通じた国民判断である。

【国際交渉に勝利したという幻想】

次に、第1の論点に移ろう。TPP農業交渉の問題点とその後の農政のあり方である。妥結直後の安倍総理の会見内容にすべてが集約されている。

「聖域なき関税撤廃は認めることができない。これが交渉参加の大前提であります。とくにコメや麦、サトウキビ、テンサイ、牛肉、豚肉そして乳製品。日本の農業を長らく支えてきたこれらの重要品目については、最後の最後までギリギリの交渉を続けました。その結果、これらについて関税撤廃の例外をしっかりと確保することができました。(中略)新たに輸入枠を設定することとなるコメについても、必要な措置を講じることで、市場に流通するコメの総量は増やさないようにするなど、農家の皆さんの不安な気持ちに寄り添いながら、生産者が安心して再生産に取り組むことができるように万全の対策を実施していく考えであります」

コメについて要約すれば、自由化は避けた(現在の国産米より高い㎏341円の高関税を維持)。その見返りに、輸入枠は増やした(米豪から5・6万t、13年目以降7・84万t)。その分、政府が買い上げる国産米の量を増やしていく。その結果、コメの供給量は変わらないから、米価の下落を抑えられるはず。加えて、補助金を増額するから安心してくれ、とのメッセージである。

総理はTPPでコメを守ったというが、これでは日本の稲作産業は衰退まっしぐらだ。今回のTPP交渉でコメと競合となる麦については、関税に相当するマークアップ(農水省が輸入時、徴収する差益)は45%から最大50%削減されることになる。つまり、麦の価格は下がっていく一方、コメの価格は高止まりをめざす、といっているのだ。よって、麦を使った食品開発はさらに進み、買いやすくなる一方、人為的にコメ離れが進んでいく。さらには、農水省は飼料米への補助金額を大幅に増額し、家畜用の作付面積を増やすことで人間が食べられるコメを減らし、隔離する愚策強化を図っている。

この最悪の政府シナリオを予見し、筆者は今年8月2日段階で次のように問題提起したが、現実のものとなってしまった。

「TPPの妥結が迫っている。しかし、日本政府は相変わらず、コメの輸入枠を増やすという禁じ手で交渉相手国の譲歩を最後まで求めている。自由貿易を否定する暴挙であり、国家同士の管理貿易強化に帰結する。これは、米国にとっては自由競争をせずとも、日本への輸出枠を確保し、自国の農業界に対するメリット提供を意味する。対する日本政府にとってはコメの輸入量を人工的にふやすにもかかわらず、『聖域を守った!』と喧伝できる口実となる。あたかも国際交渉に勝利したという幻想=国内政治的ポーズを農業界に対して示すことだけに意味があるのだ。つまり、国内に農業・農村票をかかえる日米の政治家同士の手打ちである。しかし、その結末は、日本の消費者の負担増のみならず、国内穀物生産の減産政策を助長し、残念ながら、より補助金に依存する農業政策に直結する。このシナリオの勝者は、輸入権益、補助金予算を自動的に強化、増大できる日本の農水官僚である」(『日本よ!《農業大国》となって世界を牽引せよ』あとがきから一部抜粋)

換言すれば、国主導の農政に先祖返りである。発展に真っ向から逆行する、3つの政府介入(1)国家貿易の維持(2)作物差別的な補助金設計(3)食品工場の海外移転促進政策がTPP後も継続されることになった。

本来、農家の創意工夫で増産すれば、作物は余るものだ。余ったときに農業は初めて産業になる。どうやって売るか考えるようになるからだ。面積当たりの収穫量は増え続け、土地も余る。それは農家にとって、ボーナスである。同じ面積で、新たな作物に取り組め、収入が増やせる機会になるからだ。輸入が自由化されれば、世界から新たなコメ食文化、商品が広がる出発点に立てる。モノの動きを不自由にしたまま、継続的に発展した産業はいまだかつてない。

最悪なのは、(1)の農水省のコメ輸入独占業務「国家貿易」を温存したことである。その1点をもってして、筆者にいわせれば、TPPは“たるんだ”協定となった。この広がる経済圏において悪しき慣習をつくってしまったからだ。将来的に参加の意向を示している中国の農産物マーケットを想定してである。政府は輸入を規制したまま、コメの輸出振興を図っているが、そんな自分だけに都合のいいルールなどありえない。

かつてのレアメタル問題に代表されるように、貿易への国家(国営企業や政府による)介入は中国の18番である(ちなみにロシアはウクライナ問題に対する経済制裁として、農産物の輸入規制を継続中だ)。要するに、いずれ中韓露が参加意向を示した際、日本自らが介入を「聖域を守った」と正当化するなか、彼らの介入を禁止する条件交渉で積極的な役割を果たせるはずがない。もちろん、日本が高関税を残したままでは、相手国に対して関税撤廃どころか削減交渉すらできるはずもない。このままでは中国マーケットに向けた農産物の輸出増大は絵に描いた餅である。

【農業保護政策が食品工場の海外移転を促した】

現在、中国は日本米に対して法外な検疫条件を課している(日本米には中国未発生のカツオブシムシがいるとされ、輸出前に全量「燻蒸」しなければならない。当然、食味は下がり、コストは上がる。昨年の中国向けの輸出額はわずか8000万円にとどまっている)。その他、輸出解禁されている品目は青果がメインで、牛肉や乳製品は禁止されたままである。

もう1つの問題、(3)食品工場の海外移転促進の加速化についても触れておこう。

長年の農業保護政策とは、食品の基本原材料(政府のいう「聖域」である重要品目)に高関税を課す一方、加工食品については低関税か無税で輸入することだった。食品産業はこれまで、重要品目と政府が呼ぶコメや麦、デンプン、砂糖、バターなど乳製品、生肉など基本食材を国際価格の2、3倍以上で調達してきた。工業界で例えれば、日本だけが石油や鉄、銅などを他国の数倍の価格で輸入しているハンデを背負った状態と同じである。

この政策が何を促すか一目瞭然だ。食品工場の海外移転である。日本で高い原料を買うより、海外で原材料を調達、加工し、低関税か無税で日本へ輸出したほうが儲かるからだ。われわれが日常食べているものの7割が加工品である。農業界にとっても、最終顧客の大半が加工業者であることを意味する。にもかかわらず、この政策によって移転を促進させ、国産農産物の実需低減、地域雇用の低下をもたらすなど、地方の疲弊に直結してきた。これが背景と経緯である。

他方、農産物の域内関税を大幅削減したEUでは各国の得意な原材料農産物の移動が自由化したため、食品産業の競争環境が整った。そのおかげで、食品加工が得意な国・地域に原材料が集まり、農産物の輸入が増えるほど輸出も増えるという加工貿易が活発化した。同時に、海外需要が増えることで、国内農産物の需要も底上げされる環境が整い、農業の成長産業化が始まる契機となった。

【輸入を不自由にすれば輸出も不自由になる】

今回のTPP交渉で、筆者が当初から提言してきたとおり、日本も「聖域」をなくしていれば、農産物の加工貿易が発展するスタートラインに立てたはずだったが、結果は違った。低関税・中関税だった加工品のほとんどは数年で無税化の道を辿り、上に挙げた「重要」品目は徐々に関税は下がるものはあるが、安倍総理が力説したように、全般的に「聖域」が残ってしまった。

要するに、原材料農産物は高関税のままか少しだけ下がり、加工品は一気に下がる。これでは食品産業にしてみれば、短中期的にも長期的にも海外で製造したほうが「よりお得」という結論しか導き出せない。聖域が残って、農業者の顧客がいなくなっては本末転倒である。売り先の減少により、国内農産物の過当競争が激化し、農場の利益率が低下する。農業保護どころではない。

この点については、気が早いといわれるかもしれないが、TPP再交渉戦略についてまたの機会に詳しく提言したい。

もちろん、妥結によって農業界にメリットがまったくなかったわけではない。日本の農産物輸入関税が下がったと同様、ほかの加盟国の関税も下がった。数例を挙げれば、マレーシアとベトナムのコメ関税が40%からいずれゼロに、両国やメキシコのミカンやブドウ、モモ、リンゴなどの果実に対する数10%の関税も同様に撤廃される。世界最大の農産物輸入国であるアメリカは、ほぼすべての品目で関税撤廃に応じた。日本からの有力輸出品目であるコメや牛肉、日本酒、茶、さくらんぼ、イチゴ、メロン、ナガイモ、切り花、醤油などである。

日本だけが自由化を求められているような論調もあったが、結果を見れば明らかに違っている。他国の自由化率(関税ゼロ品目の割合)が平均99%に対し、日本は唯1、95%止まりともっとも開放比率が低い。

参加当初は「TPP交渉参加11カ国は食料の輸出国ばかりだから日本のみ輸入が急増する」との反対論があったが、こちらは端から事実と異なっていた。11カ国の農産物輸入こそ急増している。経済成長と人口増加によって、ここ10年で、859億ドルから2308億ドルへと約3倍増している。TPP輸入市場とは日本農業にとって輸出市場である。日本の農業GDP653億ドルの4倍に迫る農産物マーケットが現れたのだ。

過去5年間、情緒的で無根拠な反対論が際限なく繰り広げられるなか、その再反論に筆者も奔走してきた。今回のTPP妥結に不十分とはいえ意味があったとすれば、われわれに自由の原点を少し思い出させてくれたぐらいだ。

輸入を不自由にすれば、輸出も不自由になる。経営を不自由にすれば、発展も不自由になる。不自由は現状維持さえ危うくする。長く続いてきた保護主義という名の不自由強制を当たり前と思い、そんな基本的なことを忘れがちであったのではないか。

過熱化しはじめたTPP対策予算の分捕り合戦を繰り広げている者に告げる。農家の自由はTPPによって生まれるのではない。日本の農業界が自ら戦い、勝ち取っていくものである。「農業のことは農業の当事者、農家の判断に任せればいい」――それが真の自由化である。

Voice 平成28年12月号