なぜ増える?イスラム教への改宗


2015.12.02

欧米でイスラム教に改宗する人々が増えている。その背景には欧米社会の行き詰まりがあった

イスラム教は今、世界最速で成長している宗教である。その信者数は世界最大の人口を誇るキリスト教に肉薄し、2070年には追い越すと予測されている(米ピュー・リサーチ・センター調査、2015年)。

キリスト教が信者数で世界最大の宗教になったのは大航海時代が始まった一五世紀以降のこと。600年を経て、イスラム教に信者数第一位の座を明け渡すことになる。人類史における大転換点と言えよう。

その要因は三つある。一つめはイスラム教徒の出生率の高さ。二つめは若者人口の多さ。三つめが本稿のテーマである改宗者の急増である。前出の調査では、2050年までに1億600万人がキリスト教徒をやめ、改宗先として最も多くの割合を占めるのは、イスラム教だと予測されている(無宗教は除く)。

ではなぜ、キリスト教徒はイスラム教に改宗するのか。どんな人が改宗し、その理由は何なのか。そもそも改宗者はイスラム教のどこに魅力を感じたのか。実際の改宗者の証言に耳を傾けながら、その背景や変遷を探っていくことにしよう。

【女性改宗者の声】

改宗者が増えている国の一つがイギリスである。「改宗者数はここ10年で10万人を突破。改宗者の三分の二が女性でその七割が白人、平均改宗年齢は27歳となっている」(英スウォンジー大学調査、2011年)。

「イギリス社会に蔓延する消費主義と不道徳にうんざりしたこと」がもっとも多い改宗の理由だ(同前)。「消費主義と不道徳」の具体例としては、「アルコールと酔っぱらい文化」「性的な許容性の高さ」などが筆頭に挙がる。

改宗後にもっとも変わった点について、女性回答者の9割が「保守的な服装をするようになった」と答えている。女性改宗者の一人は、次のように改宗の経緯を打ち明ける。

「私は典型的な白人でパーティ好きの十代の女性でした。露出度の高い格好で酔っ払っては、複数の男性とデートを楽しんでいました。そんな生活を続けていくうちに、ある日、何かが欠けていると感じたのです。そんなときイスラム教徒のボーイフレンドに出会って、19歳で改宗しました。ヒジャーブ(イスラム教のスカーフ)を身に着けていますが、以前の服装に比べて私はずっと自由です」(ジャック・ドイル氏による英デイリーメイル紙への寄稿記事より)

どこが自由なのか。こう説明する。「自分の逃げ道が見つかったことに感謝しています。1日5回礼拝するのが幸せでモスクに通い、イスラム教の授業も取っています。おかげで私は壊れた社会とその期待に対する奴隷ではなくなったのです」(同前)

米プレイボーイ誌の元モデル・ジャミーも似通った理由を挙げる。彼女が気に入ったイスラムの教えは「女性を尊重する点」だという。改宗すると女性として束縛を受ける印象を受けるが、どうも違うらしい。「男性が女性の外見によって惑わされることをイスラムの教えはちゃんと理解しています。女性が服の下に持っている魅力を分かっているのです。一言で言えば『セクシュアリティ』のことです。イスラムはその男女関係をリスペクトしていて、それに気づいたときイスラム教は私の心を捉え、改宗しようと思ったのです。今、私はヒジャーブを被ります。みんなに私がイスラム教徒だと知ってほしいからです。この姿が私は誇らしく幸福です。神が誰にでも宿るというのを示したいからです」(www.onislam.net

快楽主義や男性からの性的扱いにうんざりした彼女たちは、イスラム教が健全で秩序正しい生活を提供する基盤になると認識したのだろう。その規範は社会において男女間の適切な距離を要請するが、彼女たちは、それを束縛とはとらえないのだ。

ここまでは若い女性のケースをみてきたが、若い男性の場合はどうなのだろうか。

男性の改宗者はイスラム教に生き方の指針を見出す傾向がある。

筆者が取材したところ、「イスラム教は人生に規律をもたらし、自分を評価する基準となる。どの行動が許され、どの行動が禁止されているかを明確にしてくれるのが魅力だ」といった声が聞かれた。

イスラエルのバルイラン大学のチャイ・ケダル博士は次のように語る。

「機能不全もしくは離婚した家庭に育った人、アルコール依存症や麻薬患者の両親に育てられた人にとって、イスラム教が厳格であるほど、悩みや迷いに対して規範や行動の枠組を与えてくれたと感じるのです」

とはいっても、一日五回の礼拝など、戒律を日々実践するのは大変ではないのか? 筆者のそんな疑問に改宗者の一人は「自分自身を強くし、自信になります。夜明けから日没まで継続的に神とコンタクトすることで、人生の道筋が明確になり、日々の労苦について助けを求めることができます」とあくまでストイックだった。

【アメリカ軍兵士が改宗した理由】

改宗のきっかけは自分が身を置く社会への疑問や違和感、不満だけではない。

イスラム世界を旅して改宗を決断する者もいる。

例えば、元イギリス首相トニー・ブレアの義理の妹でジャーナリストのローレン・ブースは取材で訪れたパレスチナで「イスラム教徒の寛容さに感動した」(キャリーザライト・イスラム会議講演「イスラムへの航海」)ことで改宗を決意した。

モスクを訪れて、「十字架やキリスト像、マリア像のない」シンプルな美しさに魅せられたとの証言も多い。そうした改宗者は元々、キリスト教会にある偶像に違和感を持っており、モスクではイスラム教における人間と神の直接的関係が説得力を持って迫ってきたと回想する。

中東駐留中にイスラム教に魅せられ、改宗するアメリカ軍人も少なくない。「湾岸戦争時、サウジアラビアに滞在した兵士のうち、3000人が改宗」(www.islamicvoice.com)したという。彼らは改宗後、軍内での宣教役を務めている。アフガニスタンやイラクへの駐留でさらにその数は増えている。次のように語る改宗兵士もいた。

「日本や韓国で駐留していたが社会に馴染めなかった。サウジにきて初めて、歓待され心を動かされた」(同前)。普遍宗教と島国の懐の違いが現れているのか……。

イスラム世界へ旅行や駐在までせずとも、近所の影響で改宗したとの証言もある。

「アパートの隣にたまたまイスラム教徒が住んでいた。コーランの一部を読んで聞かせてくれたとき、そのアラビア語の美しさが私の心を捉えた」(www.islamicgarden.com

これと似たきっかけで改宗したのがイギリスのミュージシャン「キャット・スティーヴンス」(ムスリム名ユースフ・イスラーム)だ。休暇中のモロッコで、アザーン(礼拝への呼びかけ)が耳に入ってきた。その”サウンド”に魅了され、何の音楽なのかと地元民に質問したところ、かえってきた答えは「神のための音楽」だった。この答えは「お金のための音楽」「名声のための音楽」「自己顕示のための音楽」にどっぷりと浸かっていた彼に深い衝撃を与え、改宗に至った(yusufislam.org.uk)。

男女関係や社会慣習とは関係のない理由を挙げる改宗者もいる。

オーストリアの科学者で改宗したアミーナ・イスラム博士は次のように語る。

「コーランは私の神と世界の概念に確証を与えてくれただけでなく、自然科学の分野から見ても全く現実と矛盾していない教えであることがわかりました」(islam.ru)

具体的には地動説を示唆するコーランの章句(第二一章「預言者たち」三三節など)を例に挙げる。これは「啓示された七世紀のずっと後に発見された科学的事実」であることから、イスラム教徒はその章句を引用して、しばしばコーランが「神の啓示」であることの証明だとする。

【解放とルーツの再発見】

現代科学との整合性に加え、人種への偏見が少ないことも欧米人を惹きつける要素として見過ごせない。この点に惹かれて改宗するのは、アフリカ系アメリカ人が多い。

アフリカ系アメリカ人の改宗の多くは、映画『マルコムX』や『ルーツ』で描かれたように、白人優越社会すなわちキリスト教社会から解放されることや、自分のルーツをアフリカのイスラム世界に再発見することを目的としてきた(奴隷として売り飛ばしたのがイスラム教徒のアラブ人貿易商であることはあまり知られていないが)。その代表例は元世界ヘビー級チャンピオンのモハメド・アリ(改宗前の本名カシアス・クレイ)だ。その転向は日本でもよく知られているだろう。

服役中に改宗するアフリカ系アメリカ人も多い。著名人では同じく元ボクサーのマイク・タイソン(イスラム名はマリク・アブドゥル・アシス)が挙げられる。彼は『真相 マイク・タイソン自伝』で次のように書いている。

「刑務所で初めてイスラム教を知ったとき、その宗教に対して俺は敵意に満ちていた。俺が信じることを信じないやつは敵だった。勉強するにつれ、それは違うと気づき、謙虚になった。弱い人間になったかというと違う。神様に対して謙虚なだけだ」

アメリカの刑務所には必ずチャプレン(施設付き宗教者)としてイスラム教イマーム(指導者)がおり、彼らが囚人を改宗へと誘う。

改宗者の証言記事や動画を何百と当たっていったとき、改宗者が共通して語るのは「自己変容」である。  空虚だった人生に意味がもたらされ、混乱していた人生に調和がもたらされた。絶望していた人生に希望がもたらされた。それぞれが自分の境遇に平安を見出せた。そのような告白が続く。

【9.11で改宗者が増えた】

意外にも9.11同時多発テロをきっかけに改宗したキリスト教徒も多い。統計をみても事件前の改宗者数は年数千人にすぎなかったが、事件後、2〜3万人と10倍にまで増えている(www.riseofislam.com)。

ある証言者は9.11報道を通じて、「イスラム教は本当に殺しと憎しみの宗教なのかどうか知りたくなった」という。その後の改宗までの経緯は次のように語られている。

「17歳の時のことでした。調べれば調べるほど逆に、キリスト教の教義へ疑問を抱くようになりました。その後、大学に進学し、イスラム教徒の友人と出会いました。一緒にモスクに通い始めたところ、教会では決して感じることのできなかった精神の解放感を得ることができました。家族の反対もあったけれど、私は改宗を決めました」(ブログ「一生に一度の旅、イスラムへの道」)

他の改宗者のブログには、こんな証言もある。

「9.11後、メディアの影響でイスラム教徒は悪い人たちだと思っていました。まさか自分がその一員になるとは想像すらしていませんでした」。ところが、「人々が嫌っている、イスラムの中に本当に何が存在しているのかとの疑問が湧き、そこから改宗への道が始まりました」

否定的な報道が増えれば増えるほど、イスラム嫌いを増幅させそうなものだが、真相はそう単純ではない。人生観を揺るがす事件に接し、「何が真実なのか」を探究する層が急増したのではないだろうか。実際、9.11以降、『コーラン』は全米ベストセラー一位となり、その後も長らくベストセラーにとどまっていた。

ただ、興味を持つことと改宗することとの間には大きな溝がある。いくら教義に納得したとしても、改宗には家族や友達からの反対は多いだろう。改宗後、キリスト教が多数派の社会で、仕事や付き合いの面で障害が出てくることは容易に想像できる。その点について、改宗者の多くは、改宗について否定的に言われれば言われるほど、それらは非正統的な宗教差別であり、根拠のないイスラムへの恐怖心である、と解釈していく傾向がある。特に家族や親類が改宗に反対したり、勘当したりすればするほど、当人にとっては改宗自体が親への反抗の形をとり、ますますその意志が固まってくるようだ。

【「人類は本来ムスリム」】

さらに、多くの証言に共通するのは「先祖返り」とも言える教えである。それは「誰もが自然な状態ではイスラム教徒(ムスリム=神の意思に服従する者の意味がある)として、生まれてきた」というものである。そして、それは次のように続く。イスラム教徒として生まれたにもかかわらず、家族や社会環境のために、あるいはユダヤ教やキリスト教が腐敗状態に陥ってしまったために、今のあなたは非自然(=非イスラム教徒)になってしまった。そこから脱皮し、イスラムを改めて受け入れることで本来の人間の状態に戻ろう。この教えによって、イスラム教は、いくらメディアが〝悪魔的〟な報道をしようとも、非イスラム教徒をイスラム教に導くことができる。多数のイスラム教説教師の動画では、「あなたはすでにイスラム教徒なのです。ただそれをあなたがまだ知らないだけです」との”殺し文句”が頻繁に飛び出す。

ここまで様々なタイプの改宗者を見てきたが、改宗者は大きく二つに分類できる。

一つめは、あまり宗教的でない家庭で育てられた人。もう一つは、厳格なキリスト教徒の家庭で育てられたが、信仰に関する重大な疑念を抱いた人である。それぞれの経緯や理由は様々だが、双方に言えるのは「キリスト教は自分で選択したものではない」「強制された」という思いである。その漠然と抱いてきた思いに「人類は誰もが本来ムスリム」というシンプルな「先祖返り」の教えは、確かな手ごたえを持った答えを与えてくれる。別の言い方をすれば、改宗者はこの教えによって、自分の転向をうまく正当化できるのである。

改宗者はキリスト教にどんな疑問を抱いてきたのだろうか。

イエスが神であり、人間でもあること。三位一体の概念、人類の原罪、聖人の存在、旧約聖書と新約聖書の矛盾などがよく挙げられる。

実際の声に耳を傾けてみよう。

例えば、原罪について。「ずっと納得がいかなかった。自分には赤ちゃんの弟がいて可愛がっていたけれども、赤ちゃんが罪深いわけがないと子供ながらに感じていた」(islam online.net

イスラム教では神はアッラーのみで、原罪もない。聖母マリアや聖人に重きを置くこともない。モスクに行っても偶像はない。神と人間の間の仲介物は一切排除される。だから、改宗者はシンプルに直接、神とコンタクトができる。

そのようなイスラム教の性質は、キリスト教の理解しづらい教義や概念に戸惑う真面目な信者に魅力的に映るときがある。

【いかに論破されるのか】

ではイスラム教の説教師は、どのようにキリスト教徒を説得し、改宗に導くのか。

そもそもイスラム教はキリスト教徒に改宗を誘いやすい性質を持っている。それはイスラム教がキリスト教、ユダヤ教と多くの類似点を持っていることに由来する。

イスラム教の神(アッラー)は、ユダヤ教、キリスト教と同じ唯一神であり、世界の創造主であり、絶対的な存在である。その神は善行を勧め、悪行を懲らしめ、世界の終末が訪れたとき、人類を「最後の審判」で裁く。

また、イスラム教の聖典コーランは先行するユダヤ教のトーラー(モーゼ五書)、キリスト教の旧約・新約の聖書と共通した部分を多く持っている。例えば、アダムとイブ(アラビア語ではハウワー)、ノア(ヌーフ)、アブラハム(イブラーヒーム)とイサク(イスハーク)、ヨセフ(ユースフ)、モーゼ(ムーサー)など、多くの登場人物を共有している。しかも、それらの人物は、イスラム教では皆、使徒として敬われている。

イスラム教に無知だったキリスト教徒は、イスラム教にも同じ世界観があり、聖書で馴染んできた物語を共有していると知り、一気に親近感を覚える。共通基盤があるので、キリスト教徒がイスラム教について質問すると、議論が噛み合いやすい。だからこそ、改宗に導く説教師は、「強引」にではなく、旧約、新約を踏まえて、論理的にキリスト教徒を説得できるのだ。

最後にキリスト教徒が実際に論破され、改宗した際の質疑応答を紹介しよう(回答者はいずれもイスラム教説教師ザキール・ナイク、ライブ説教テレビ局Peace TV番組からの抜粋)。

■質問者 キリスト教においてはイエスは神の子です。イスラム教ではイエスは神の子ではないとされています。人類でイエスだけが人間の父がおらず、処女マリアから生まれてきました。だとしたらイエスは神の子ではないでしょうか?

□回答者 その主張が正しいと仮定しましょう。では人類の祖アダムはどうなりますか。父親だけでなく母親もいない。あなたのロジックに従えば、アダムのほうがイエスよりもっと偉大な神の子という結論になってしまいます。聖書の時代、神に従う者は皆、神の子と呼ばれていました。例えば新約聖書の「ローマの信徒への手紙」八:一六に「この霊こそは、わたしたちが神の子供であることを、わたしたちの霊といっしょになって証してくださいます」とある通りです。その表現が現代において誤解されているのです。この点についてコーランは明確な答えを出しています。第三章「イムラーン家」五九節「まことにイーサー(筆者注:イエスのアラビア語名)の様はアッラーの御許ではアーダムの様のようである。彼を土くれから創り、それから彼に『あれ』と仰せられると、彼はある」。つまり、コーランではイエスとアダムは神からみれば被創造物に過ぎないのです。

■質問者 なぜイスラム教は三位一体説を否定するのですか。

□回答者 実はキリスト教にも三位一体は存在しません。それは宣教師の教えです。一方、コーランでは二カ所で言及しています。第四章「女性」一七一節「(前略)マルヤム(マリア)の子イーサー(イエス)はアッラーの使徒であり、マルヤムに授けられた彼の御言葉であり、彼からの霊である。それゆえ、アッラーと彼の諸使徒を信じ、三である、と言ってはならない。止めよ。おまえたちにとってより良い。アッラーは唯一の神にほかならない(後略)」〔( )内引用者注〕」と第五章「食卓」七三節「『アッラーは三のうちの第三である』と言った者は信仰を拒んだのである。そして唯一の神のほかに神はない。そして彼らが言っていることを止めなければ、信仰を拒んだ者たちを痛苦の懲罰が必ず襲うであろう」です。その二カ所で三位一体というのは間違っているとコーランははっきり言っています。

他方、キリスト教の宣教師が三位一体説の根拠として掲げるのは聖書で一カ所しかありません。「ヨハネの手紙Ⅰ」五:七―八「天で証するものが三つあります。父と御言葉と聖霊です。これら三者は一つです」(欽定訳聖書版)です。しかし、三の内容が間違っていたのです。高名なキリスト学者が誤訳を認め、改訂版でそれを正しました。その訳がこれです。「そこで、証するものが三つあります。聖霊と水と血です。そして、この三者は同じことを証しています」(共同訳)。これは三位一体が捏造であった動かぬ証拠です。

説教師は、キリスト教信者が日頃から疑問を抱いている教義について、聖典を巧みに引用しつつ、過ちをシンプルかつ論理的に正していく。反証の決定打としてコーランの引用を加えることで、イスラム教こそ、より正統な神の啓示宗教であることを示し、改宗に導いていくのである。

歴史を振り返れば、現在イスラム教徒のアラブ人の大多数はかつて、キリスト教徒であった。

人類史は改宗に満ちている。

文藝春秋SPECIAL 2016冬