【おわりに】全文公開!『ドナルド・トランプ 黒の説得術』


最後に、本書を執筆した経緯を記す。

昨年(2015年)のちょうど今頃だ。筆者は、ドナルド・トランプ氏と大統領共和党予備選を戦っていたランド・ポール上院議員の処女作『国家を喰らう官僚たち』(新潮社)の訳書を世に問うていた。

ポール議員は「大統領にしたい政治家ランキング1位」に7度も輝き、タイム誌の「世界で最も影響力のある100人」に選ばれるなど、輝かしい政治遍歴のある人物である。

以前からポール議員の政治哲学に親近感を持っていた筆者は、選挙が本格化する前から翻訳に着手していた。いち早く日本の読者にその思想を紹介しようという目論見であった。

しかし、である。トランプと直接、初回のテレビ討論会であいまみえるや否や、ポール議員は秒殺されてしまった。

じつは両者の主張は、登壇した10人のなかで、本質的な意味で最も近い。アメリカをいちばんダメにしているのは、首都ワシントンに巣くっている特権階級(政治家をはじめとする政府関係者)、ロビイスト、既得権益者だという見解だ。

違いは表現の仕方にあった。

トランプは「彼らがアメリカを殺している」と感情論で訴えたのに対し、ポールは「(政府の権力行使を制限する)『権利章典』の価値をいまこそ思いだそう」と理性的に呼びかけた。

トランプはポールに限らず、討論相手が誰であろうと打ち負かしていく。そんな場面をいくどとなく目撃していくうちに、トランプの独自の話し方に興味を引かれていった。

繰り返しトランプの討論や演説を聞いているうちに、昔読んだ1冊の書名が頭に浮かんだ。古代ギリシアの哲学者で、説得術の創始者アリストテレスが著した『弁論術』である。読み返してみると、瞬時にしてわだかまりがとけた。トランプのあらゆる発言が、アリストテレスの教えどおりなのだ。

そんな確信を深めていった頃、その確証のために予備選終盤戦に入ったアメリカを訪れた。

トランプの政治集会(フィラデルフィア)に参加した人たちから直接、話を聞いた。実際の投票所に通い、多様な有権者の意見に耳を傾けた。共和党保守系のインテリや活動家が全米から集う会合に出席したり、首都ワシントンで主要シンクタンクの研究員たちとも議論を交わしたりもした。

印象的だったのはアメリカのインテリたちの本音と建て前だ。選挙戦について何時間も議論しているのに、公式の場ではトランプ支持を誰も表明しない。そればかりか、世論調査でトップを独走するトランプの名前すら発しない。まさに腫物に触るような扱いだ。しかし、懇親会の場や個別に飲みにいくと、様相が一転する。「じつはトランプのこと、そんなに嫌いじゃないんだよね」となぜかカミングアウトしてくるのだ。必死に隠していた秘密を無意識にしゃべりだしているようだった。

その現象がトランプの説得術のなせる技なのかはわからない。ただその後、トランプの著作を読み漁った結果、本人が自ら、説得術の技法や潜在意識の操作について、きわめて自覚的であることがわかった。

さらに1章で取り上げたスコット・アダムス氏をはじめ、トランプ独自の言語や話術を分析した専門家の論考に触れるにつれ、彼の説得術の輪郭がより鮮明にみえるようになった。極めつきは、トランプ本人が明かした師匠の存在だ(5章参照)。それを最後のピースに、トランプの説得術の解明に欠けていたパズルが埋まった。

その成果が本書である。

本書の執筆は筆者にとって解毒作業のようなプロセスだった。いまでもトランプを、個々の政策面では論破すべき標的だと思っている。しかし、興味本位から始まった彼の説得術の探求に、あまりに毒されてしまったことだけはたしかだ。

最後に、編集を担当してくださった𠮷田知子さんに深く御礼申し上げたい。急な企画にもかかわらず、『ドナルド・トランプ 黒の説得術』の存在を温かくうけとめてくださった。見事な編集の采配のおかげで、大統領選開票日には間に合わせることができた。𠮷田さんとは『TPPで日本は世界一の農業大国になる』(ベストセラーズ)以来、一緒に仕事するのは2冊目となる。また、前作に続き、アシスタントの安田愛子さんにもお礼を述べたい。英語動画の口述筆記から膨大な資料整理、校正作業までサポートしてくれた。

執筆にあたり、社会心理学に造詣の深い作家の田中真知氏からは、貴重な示唆を頂戴した。アメリカ取材に際しては、共和党保守系人材とつながりの深い渡瀬裕哉氏(東京茶会創設者)とマーク・アベラ氏(ミーゼスジャパン代表)にたいへんお世話になった。御三方に感謝申し上げる。

浅川芳裕『ドナルド・トランプ 黒の説得術』(2016)東京堂出版  【おわりに】 より転載